末次ゆう

会社を辞めて旅に出た経緯と心境をつらつらと語ります。

ページ内に広告を含む場合があります
黄金岬黄金岬

旅に出た経緯と心境について、昔のことを思い出したので、つらつら書き記していきます。

いつかは書いておきたいな、と思っていた内容です。退社直後に書こうとしていたのですが、気恥ずかしくて下書きのままでした。

最初に言っておきますが、会社を辞めたことは微塵も後悔していません。断言します。

 

入社までの経緯

福岡の街並み福岡の街並み

ちょっとした経歴を前述しておくと、中学生のときから「会社員として雇われる生き方はしたくない」と思っていたのですが、学生企業する勇気も知識もなく、とりあえず某電気保守系の企業に入社しました。

その会社を選んだ理由は、「働きながら資格取得ができるから」「色んな会社の内部を見ることができる(できそう)から」「CMを流している大企業だったから」という3点。

実は、高校の進路の先生からは「評定5.0でも受かっていないから第二希望も決めておけ」と言われたほど絶望的でした。評定は4.6でしたし、身の丈を上回っていたんですよね。

だからこそ、内定をいただいたときは嬉しかったですし、高校時代に親身になってくださった先生方には感謝しています。

それでも、お金と知識を貯めて、「20代のうちに何かしら行動を起こそう」というザックリとした目標は変わりませんでした。

ただ、入社した当初は、まさか旅に出るという理由で退職するとは思ってもいませんでしたね(笑)

 

「日本一周」を知ったきっかけ

ミスターバイシクルミスターバイシクル

社会人2年目のわたしは、6月にネットサーフィンをしていると、「車で10日間の日本一周旅」というブログを見つけ見入ってしまいました。

本当に当時は狭い世界で生きていたので、「日本一周」ということすら雲の上のような存在だったんです。(まあ、未だ到達していないけど笑)

そして、さらに日本一周について調べていると、歩いて日本一周をしているさるぼぼさんという方を知りました。

 

歩いて日本一周できるなら自転車でもできるんじゃないの?

 

と思って調べると、ヨネスケさんというプロブロガーさんの記事を見つけ、ブログで稼げることを知ったのです。

それから、毎週のように休日の夜はネットサーフィン。

清宮健太さんという方がリアルタイムで旅をされていたので、ずっと見ていました。それが当時の生きがいなくらい。(清宮さんとは2018年に横浜でお会いしてお話させていただきました!

清宮健太さんと清宮健太さんと

そして、この清宮さんはブログでスポンサーを2社ついてもらい、さらにGoogleアドセンスとアフィリエイトで稼いでたことも知り、「俺もブログ書きながら旅をしてみようかな」となったわけです。

元々、自転車で遠くに行くのは好きでした。午後休暇を取って、博多からクロスバイクで片道30km離れた、鳥栖や甘木まで行くほどには。

だから、「後先考えずに、やってみよう」と思い、退社することを決意。これが7月のことでした。

 

電験三種合格してから辞める、と決意

萩ゲストハウスruco萩ゲストハウスruco

ただ、当時は『第三種電気主任技術者』というそこそこ難易度の高い国家資格の勉強をしていて、上司に毎日教えていただいており、何かしら恩返しをしなくてはと思っていたんです。

「辞めるなら、資格を取ってからにしよう」

そう決意し、9月の試験日まで2カ月ありませんでしたが、ラストスパートをかけました。

そして、試験は見事に合格。これで仕事を気兼ねなく辞められる。

高校2年生の時から受験していたので、4年越しの合格。本当に嬉しかったです。

平日は4時間、休日は8時間~10時間ほど勉強していました。サボった日もありましたが、間違いなく学生時代よりは勉強したと自負しています。

ただ、この資格に合格したのは、間違いなく当時の上司のお陰です。あの方と出会っていなかったら、勉強する気にもなっていません。

電験三種という資格は高卒の技術系の人からすると、登竜門というか持っているだけで「すごい」と言ってもらえる資格。自信にも繋がりました。

 

退職について

退職退職後

仕事を辞めることに関しては不安はありませんでしたが、「旅が終わった後はどうしよう?」という不安はありました。

どちらにせよ会社は5年以内に辞めるつもりでしたし、両親にも就職前にそう伝えていたので、それが早まっただけと言い聞かせていましたが。

2017年2月中旬、定時のチャイムが鳴った後、直属の上司に「話があります」と切り立て、別室で退職する旨をお伝えしました。

その後、事務的に退職の準備を進め、ありがたいことに引き留めもしていただきました。支部長室で2時間くらいお話。若い頃の貴重なお話をしてくださったこと、感謝しております。

「もう1年だけ頑張らないか?」というご提案もありましたが、わたしは今年辞めなければ前に進めないと直感的に思っていたので、「辞めます」の一点張り。

会社自体は楽しいという表現が合っているかわかりませんが、日々の仕事や上司・先輩には恵まれているなと、当時も心から思っていました。

だからこそ、居心地がよくなりすぎる前に辞めたかったというのもあります。

もちろん、10年以上働いて何かしらしっかりとしたスキルを身に着けてから退職するというのが思わしいという意見もあるでしょう。わたしも考えていたことがありました。

ただ、この会社で10年もやっていたらおそらく辞める気にはなれないなと。挑戦する意欲はなくなるだろうなと感じていたんです。

逆にブラック企業だったら「いつでも辞めてやる」精神で進めたんでしょうけど、仕事内容は好きでしたし、電気のことを勉強するのも興味深いことばかりだったし、給料もよかったので。

上司からのメール

アイガーさん買ったばかりの自転車

退職することが正式に決まった日の夜、例の資格でお世話になりすぎている上司からショートメールが届き、涙が出そうになりました。

今でもそのメールはスクリーンショットを撮って大切に保存しています。

後悔しなければ、あなたの人生は成功するでしょう」という内容でした。

上司は高卒で地元の企業に入社するも、2年目で退職し、猛勉強をしてこの会社に入社されている苦労人。

本当に頭がよく、教え方もわかりやすく、仕事もできる方。心から尊敬していた上司だったので、このお言葉をいただいたときは本当に嬉しかったし励みになりました。

今でもたまにこのメールを見返しては力をいただいています。自分なら大丈夫、と。

 

人に恵まれている

田床山田床山

退職までの1カ月間、ありがたいことに個別でも『送別会』を開いていただき嬉しかったです。

最後の現場作業は、先ほどの上司と一緒の班で過電流継電器の試験をしたことを覚えています。

「お、これで最後の試験じゃないの?笑」

みたいなこと言われましたね。この先どうなるかわかりませんけど(笑)

 

とにかく、人に恵まれすぎた2年間の会社員生活で本当にありがたかったです。

上司先輩からは毎日のようにアドバイスをしていただき、ちょっとした愚痴を言える先輩もいました(笑)

休日は会社の野球部に所属していたので、そこでも別事業所の方々にお世話になっていました。

今でも会社の上司先輩からたまに連絡をいただきますし、別の会社の方ですが一緒に勉強会を共にした方も気にかけてくださっています。

本当に人に恵まれた人生だなと、何に感謝したら良いのかわかりませんが、振り返るとそんなことを思いますね。

旅立った後もたくさんの方々にお世話になり、これからも関係が続いていけたらいいなと思っている方がたくさんいます。

この恩をわたしも次の世代に贈らなければなりません。

上手く言えないですけど、自分のやりたいことをやって楽しく生きて、悩んでいる人の背中を押せる人になりたいと思っています。

旅に出たのは20歳だったのに、今年9月で23歳。ボーっとしている暇はありませんね。

それにしても、いい人生を送っていますわ。

ABOUT ME
すえぽん
会社員を辞めて自転車で旅に出たのち、ブロガーや農業バイト・ライター生活して早7年。大分県佐伯市ではドーナツ屋を開業していました。趣味は写真撮影・文章を書くこと・長距離ドライブ