山口県の日本海側にある小さなまち「阿武町(あぶちょう)」。
人口3,300人ほどの町の山の中で、「福賀すいか」という、シーズン辺り1万個しか出回らない、幻とも言われるすいかが作られています。
通常、1株につき2個のすいかを育てるのが基本ですが、福賀すいかは1株に1個のすいかを育てるため、1個のすいかに栄養が集まり、大きさ・味ともに他の産地より優れたすいかができるんだとか。
そんな福賀すいかの生産者の中に、唯一、20代という若さで就農し、すいか作りや町おこしに携わっている『梅田将成』さんにお話を伺ってきました。
大学を辞めるきっかけ・すいか農家になろうと思ったきっかけ・すいか農家の1日・今後の展望や目標など、ざっくばらんに話してくださっています。
また、一個人としての町おこしに関わるマインドについてもお聞きしました。
梅田将成(うめだまさなり)
~人生を耕すクレイジー・ファーマー~
1992年12月生まれ
福賀すいか生産者/ほうれん草生産者/ブロガー/ユーチューバー
山口県阿武郡阿武町出身。心から笑っていられる未来を手に入れるために大学を辞め、阿武町へUターンし新規就農。現在は夏場に「福賀すいか」を生産し、その他の季節はほうれん草を生産。農業をする傍ら、ブログやYouTube・SNSでも積極的に情報発信をしている。 東京や大阪で開催されるイベントにも主催者側として参加。農業、ブログ、料理、釣りと多彩に楽しむ”クレイジー・ファーマー”。
初めてお会いしたのは2年前でしたが、改めて色々とお話を聞かせてください!
確かにね。こみいった話って意外としていないよね!
聞き手:末次ゆう
写真:末次ゆう・鵜飼優子
【インタビュー実施日:2019年7月23日】
目次(タップで移動)
大学を中退し、地元の阿武町で「福賀すいか」生産者になる
ーー さっそく、かんたんな自己紹介をお願いします。
梅田 梅田将成(うめだまさなり)です。大学を中退して、2年前から地元阿武町に戻り、昨年から「福賀すいか」の生産者になりました。
ーー ありがとうございます。現在の農地・圃場の広さはどれくらいですか?
梅田 面積でいうと24a(約2,400㎡)でその中に立てたハウス12棟で1,380株のすいかを育てています。
ーー 他の農家さんと比べたら24aという面積は広いほうなのでしょうか?
梅田 お手伝いしてくれる人の数にもよってくるけど、そんなにめちゃめちゃ多い方ではないかな?本当はもうちょっといける……。うん。
今年は去年よりもハウスに植える間隔を狭くしたから、去年より少しだけ増えた感じ。
ーー 家のお隣に今の師匠(木村さん)が住んでいるという環境で育たれたとのことですが、小さい頃からすいか農家になりたいという気持ちもあったのでしょうか?
梅田 いや、まったく(笑)。食べる専門というか、毎年時期になったら木村さんが傷のあるすいかを持ってきてくれるのをひたすら食べまくってただけ。本当に食べる専門。
ただただ、食べるのを楽しみにしていたから(笑)。
ーー すいかとは触れ合っていたけど、農家になるってのは全くなかったと。
梅田 そうそう、食べる専門よね。食べたくてしょうがなかった。毎年、食べるのを楽しみにしてたから~。
ーー そうなんですね。その後大学へ進学されたとのことですが、いつごろからすいか農家になろうかなと考えられたのですが?
梅田 完全にすいか農家を意識したのは大学を辞めてこっち(阿武町)に帰ってきてから。
2016年の秋に帰ってきて、2017年のシーズンからお手伝い・アルバイトみたいな感じで入って、やり始めて面白くなって、それからって感じ!
ーー その時の「すいか農家になろう」という決断は直感的に。
梅田 結構、勢いと直感だな~。
ていうのと、大学を入るときには将来自分は『大卒』として社会に出るのが当たり前だったと思っていたけど、大学を辞めるときに「自分は『高卒』になるんだ」という。
一回、大学に行って大卒になる予定だったにも関わらず、高卒になるんだと。周りの友達も大卒として働くし。「ああ、梅田は高卒として働くんだな」と。
要するに、大学に入ったのに辞めるということは大卒の世界では『負け組』になるわけよ。
じゃあ、ここから巻き返すには『将来、胸張って生きていかなきゃ』と思っていたところで、福賀すいかの生産者さんたちに出会い、その熱量とマッチしたって感じだな。
ーー 熱量って感覚的なものだと思うんですけど、具体的に言語化できる部分はありますか?
梅田 他の産地と違う栽培方法で作っているのもあるし、商品としてどういうクオリティーやコンセプトでやっていくのかというところにすいか部会の人が賭けている思い。
みんな、ただの農業がやりたいだけではない。それが魅力よね。
すいかじゃなかったら農家やっていたかというと微妙。というより、この福賀すいかじゃなかったら、農家やっていたかというと微妙かな。
生き方から見直して大学中退
ーー ちょっとお聞きしにくいことなので、断っていただいても結構なのですが、大学を辞めた理由を教えていただけませんか?
梅田 いやいや、全然いいよ(笑)
鬱っぽくなったんだけど、それがじわじわきたんよね。
そのきかっけは、大学では割と大きめの合唱サークルに入っていて、その中で高校からの経験者ということもあったから、全体を動かすポジションになったわけ。
それで、「合唱団としてこうでありたい」「お客さんにパフォーマンスを見せるのであればこうでありたい」みたいな、本気でやりたいって思いを持って取り組んでいたんだけど、自分のそういう思いと周りの人たちが持っているモチベーションのギャップという現実が、自分の中で許容できない広がりがあって。
そこで、「まあそんなもんか」と受け入れられていたら鬱にはならなかったんだろうけど、なんかやっぱり承認欲求じゃないけど、その場に必要とされている時間って必要なんだと思うのよね。
ーー はい。
梅田 そう。それでなんか、「俺、この場にいなくても成立するな」。むしろ、「俺がこの場にいないほうがみんな幸せだな」と思うようになると、俺が今まで俺なりに頑張ってきたことはなんだったんだろうと思うようになってさ。
それが続いて、大学3回生から4回生の間にぽしゃって、それから授業にも出られなくなったら、単位も落とすようになって。これじゃどうしようみたいな。
卒業はしないといけないかなと思いつつも、全然学校に行ける気もしないし。前にも後ろにもいかない時期があって。
ーー 辛い時期……。
梅田 その時に『里山資本主義』っていう本をたまたま本屋さんで見つけて、その本は「高度成長からのお金が全ての資本主義が置き去りにしてきた価値観」をもう一回取り戻さないといけないんじゃないの?みたいなことを、実際の事例とともに紹介している本だったんよ。
その中で響いた言葉が合って、「人は本来誰かにあなたはかけがえのない人だと認められたいだけなんだ」っていう。いくら貯金があるとか、誰かに勝っているということでもなくて、あなただけの価値を本当は誰かに認められたいだけなんだってことが書いてあって。
それが本当にね、「この先どうしよう」と思っていた自分に刺さって、ズバリ言い当てられた気がして。
生き方からしっかり見直していかないと駄目なんだということに気が付いて、そこから大学辞めるまでは早かったなー。
(2024/11/21 09:39:26時点 Amazon調べ-詳細)
ーー 大学に入る前は、どういう職種を目指されていたんですか?
梅田 元々はね、高校時代に遡ると、歴史が好きだったから博物館で学芸員になって研究みたいなことをしたかったのよ。古文書とか。
ただ、センター試験が全然思わしくなくて落ちてしまって。
落ちたのはしょうがないから、社会科の先生になろうと思って大学に行くことにして。
でも、大学に入ったら合唱サークルの方に熱量を注いでしまって、教員免許取るのが単位的に危うくなったから、とりあえず卒業して公務員になろうかなって、どんどん目標を下方修正したんよ(笑)
ーー 現実に直面した…。
梅田 元々持っている夢に向かってそれが達成できる努力量までコミットできたら、世の中のだいたいのことは達成できるけど、俺は大学を辞める瞬間まで、自分の夢を達成できる努力量まで達成できていなかったんだってことに気づけていなかったんよね。
ーー 大学時代は合唱に打ち込まれていたとのことですが、今でも合唱には携わっていらっしゃるのでしょうか?
梅田 昔ほどでの熱量ではないけど、地元の高校OBの合唱団があるから、それに入ってはいるけどね。
この時期は忙しすぎて練習に行けていないけど、来週あたりからまたいけそうかな(笑)
ーー そういえば、去年も毎週萩の方に出られていましたね。
梅田 そうそう、あれ!
すいか農家の1年間&1日のスケジュール
ーー すいか農家の1年間のスケジュールを教えてください。
梅田 土の準備が、2月後半から3月前半にスタート。肥料撒いて、トラクターで耕うんして、転圧ローラーで土を押し固めて、マルチを貼るって感じよね。
3月中旬から5月までに順番で苗を植えていって、そのあとは栽培管理。7月から8月のお盆まで収穫。9月の中旬には片付けまで完了する流れ。
【参考】すいか栽培の手順・1年間のスケジュール
12月:資材の手配
2月~3月:土の準備、肥料散布、耕うん、転圧、マルチ準備
3月~5月:定植、ソフトピンチ、孫取り
6月:皿引き、授粉、摘果、孫取り、防除
7月:収穫、授粉、摘果、防除、選果、
8月:収穫、選果、片付け
9月:最終片付け
ーー 資材の手配はいつごろからされているんですか?
梅田 12月中には注文して準備しているな~。
ーー すいかに関してのスケジュールとしては、3月から9月の間で完璧に終わりってことで、それからはほうれん草を作られているんですよね。
梅田 冬のメインはほうれん草。
ーー すいかの作業期間の1日の流れをザックリと教えてください。
梅田 6時に起きて、7時くらいから作業に入って17時を目途に作業を終えて、18時には家に帰る感じかな。一番遅くて19時になったことはあるけど、滅多にないよ。
今、実家に住んでいるから、みんなのぶんのご飯を作って、19時くらいにお風呂。
そこから人のブログ読んだり、SNSやったり、ブログ書いたり、YouTube撮ったり。日によるけど、ネット関係の作業をして22時には寝ているかな。
ーー 今は収穫がメインとなっていますが、収穫の日のスケジュールは変わりますか?
梅田 朝起きるのは5時前で、それから6時に収穫開始。搬入の準備を始めて8時半から少しだけ家に帰って休んで、9時半に選果場に行って、12時ごろまでみんなで選果。
それから13時まで翌日分のすいかを搬入して、そこから14時くらいまで昼飯食べて休む。
そのあとは何もない日もあるし、17時くらいまでハウスの片付けしたりとか、これから収穫するすいかの管理作業をする日もあるかな。18時には完全帰宅だね。
【まとめ】すいか農家の1日
6時:起床
7時:作業
12時:昼休み
14時:作業
17時:作業終了、夕食準備
19時:入浴、情報発信作業
21時:自由時間
22時:就寝
ーー すいか農家になるにあたって、学校や養成所などに通われたんでしょうか?
梅田 山口の場合は防府市に社会人向けに、新規就農したら必ず行かなければならない研修があるんよ。
ただ、基本的に今やっていることはほとんど現場仕込みだけどね。
だから、やっぱり座学的な教育機関で受けられる勉強も必要だけど、結局は現場での経験だな。
現場では良いことも悪いことも極端にある。カラスにつつかれたりとか、雨が続いてすいかが割れたりとか。
そういう部分は現場で一緒に仕事しないとわからないことだから、農業に興味がある人は一回どこかでアルバイトでもいいから、現場を知ってみるといいかなって思ったね。
福賀すいかの特徴は、「うま味と食味のバランス」
ーー たくさんあると思うんですけど、「福賀すいか」の他の産地に負けない特徴とはなんでしょうか?
梅田 やっぱり、「味」なんじゃないかなと思う。
単純に甘いだけのすいかってあるんよね。それってすぐ糖度がのるけど、味は微妙なことも多いんよ。
福賀すいかは、甘さとうま味と食感まで合わせた全体の食味の良さっていうのは、なかなかないと思うんよね。
ーー 福賀すいかは大きさも特徴的ですが、メインで推しているところも「味」なんでしょうか?
梅田 そうだね。大きさってところもあるけど、大きく作って美味しくなかったら意味ないから。
すいか農家の悩みは「天気」と「鳥獣害」
https://twitter.com/crfmuc0nd/status/1154684232595169280
ーー すいか農家としての悩みを教えてください。
梅田 やっぱり天気は悩ましいよね。人間がコントロールできないところだから。
もちろん、一週間先の天気予報を見て、それに合うようにスケジュールを組むけど、経験値や勘が結構大切なところで、なかなか他のベテラン農家さんみたいに上手に対応できなくて、そこが悩ましいよね。
ーー 天気は変えられないですからね……。他にもありますか?
梅田 あとは、まあ、動物かな(笑)
ーー 昨年も色々ありましたもんね。(カラスやハクビジンがハウスに侵入するなど)当然、対策はしているけど、深刻な問題ですよね。
梅田 ただやっぱり、鳥獣害は人災かなと思っているなぁ。
鳥獣害は人的ミスだと半分くらいは言えるのかなと、自分の中では思っていて、「あそこでケチらずしっかりネット貼っておけばよかった」って後々思っちゃうね……。
去年はそれを痛感した。ちょっとネットをケチっただけで、ネットの料金をはるかに超える数のすいかをカラスにつつかれたからね(笑)
https://twitter.com/crfmuc0nd/status/1012285190176006144
ーー 福賀すいかの単価考えると、1個つつかれただけでネット代以上の損失になりますからね……。
梅田 そうそう(苦笑)。
ーー 他にもありますか?経済的なところはどうでしょうか?
梅田 うーん、去年の場合は初めてで色々と経費が掛かって補助金がありがたかったけど、今年からはよくなっていくだろうと見通しがある程度あるから、なんとかまだ大丈夫かな。
ーー でも、お金の面で悩みがないというのはすごいですね。
梅田 いや、本当はもっと悩まなければいけないんだろうけど、今自分は安定期にも成熟期にもなっていないから、今は上に向かっていくだけだから、お金どころじゃないんだよね。
ーー 今後また、人生が進むにつれて悩むだろうなということで。
梅田 そうそう。結婚して子供ができて今以上の責任がついてくると、全然違うことになるから。
福賀すいかのやりがいは「自然な温度」で作ること
ーー すいか農家の一番のやりがいとは?
梅田 収穫して選果して、自分の創ったすいかが全国のお客さんの元に旅立っていく。日本のどこかで自分のすいかが食べられているんだってことを思うと、ワクワクするよね。
ーー やっぱり、旅立つところですよね。さらに絞って、すいかだからやりがいがあるってところはありますか?
梅田 そうだよね、すいかだけじゃなくて、他の農家さんも同じことを思うよね。
それをいうと、福賀のすいかって、特別出荷の期間が短いのよ。他の産地だと、ハウスの中で暖房を焚いて6月からすいかを出荷するところも多くて。
でも、福賀のすいかって自然な温度にしか頼らないで栽培するから、出荷される期間が短い。だから、本当にひと夏の思い出にしてもらえるような商品に自然となっていく。
そこは面白みがあって、しかも大きいすいかになるし、7月から1ヵ月しか食べられないすいかだから、そのすいかを買った人が友達とか家族とか、大事な繋がりを持った人と分け合って食べている景色を想像するのが楽しい!
ーー なるほど、今言われて想像してみると、自分もワクワクしました!
梅田 だからもっとそういう人たちを増やしたいって思いがやっぱりあるよね。
「品質が上がってお客様が取り合う」すいかを作る
ーー 次に、後継者問題についてお聞きしたいのですが、現在、後継者を積極的に探しているのでしょうか?
梅田 まだ……。そうだね、俺が後継者になるための修行中みたいな立場だから、積極的に探してはいないかな。
ーー 今後、福賀すいかをここで終わらせたくないという思いは?
梅田 それはもちろん。もっと盛り上がらないとね!
ーー 生産数も増やしたい部分があるのでは?
梅田 そこはどうだろう?
もちろん、増やせるなら増やしたいけど、例えば生産者が5人6人と増えて、単純に作付けが倍になるということではなくて、今の1万1千株の価値が上がって、全国のお客さんがそれをとりあうってところに夢を持っている感じ。
ーー 品質が上がっていって取り合う……
梅田 そう、もっと品質が評価されていって欲しいね。
ーー もともとすいかを作られていた方も多かったけど、辞めていったというお話も聞きましたが。
梅田 そうそう。作業的にかなりしんどいし、他の作物に比べると経費も高いし。
年齢が上がっていくと、かなり体力的には大変なところだと思うしね。
阿武町の取り組み、「1/4ワークス」について
ーー わかりました。次に、わたしも昨年参加した「1/4ワークス」について聞かせてください。まず、阿武町として参加に至った経緯はどういったものだったのでしょうか?
梅田 元々、地元でもアルバイトみたいな感じで手伝ってくれる人はいたんだけど、田舎の人って仕事だけじゃなくて家のこととか、田舎の人ってけっこう忙しい人が多くて、なかなか一定の期間内でガッツリ来てくれる人って少なくて、しっかり雇う体制が難しい。
そのままの労力でいくと、現状維持にしかならない面があって。
ーー 言われてみれば、定職についていなくても、田舎はやることが多いですよね。年配の方も多いですし。
梅田 2017年に阿武町で短期間だったら人を雇えるかもしれないと話になって、京都の和束町に視察に声をかけられてついて行ったんよ。
そして、和束町の取り組みを阿武町にも導入できないかと提案して、形にしてみたって感じかな。
ーー 1/4ワークスの出口、目的はどのように考えられているのでしょうか?定住に繋げたいとか、あやよくば後継者になってほしいとか、いくつか考えられますが。
梅田 役場の理想形は阿武町の中に4シーズンの仕事がある状態を作ること。
4シーズン分の仕事があれば、その仕事を組み合わせて、1年中阿武町で生活ができるようになるからね。それが本来の1/4ワークスで実現したかったこと。
ーー 田舎には仕事がないってよく言いますもんね。
梅田 その「田舎には仕事がない」っていう認識をしている人がとっても多いし、それは阿武町を出ていった人とか、今の高校生とかが強く感じている。だから出ていっちゃう。
もちろん、通年で雇用できる事業体はかなり少ないけど、ピンポイントでお金を払ってでも人手が欲しい事業体は多いから、それを組み合わせていけば、仕事を渡り歩いて1年間生活が周るって状態を、阿武町は目指している。
ーー なるほど……。年間通して仕事があれば、経済的にも精神的にも楽になるからいいですね。
梅田 ただ……(ニヤリ)。それは阿武町のやりたいこと。
ーー ということは何かありそうですね(笑)。すいか部会としての1/4ワークスとは?
梅田 少なくとも俺が思っているのは、もちろん、阿武町がよくて1年間阿武町で暮らしたいって人がいるのは嬉しいよ。
でも、例えば、春と夏に阿武町で仕事をして、秋と冬はその人のやりたい仕事をして、また春に阿武町に戻ってくるというパターンでも構わないと思っている。
「人材を分け合っていく状態」になると面白い
ーー 要は、定住目的というよりは、阿武町に関わってくれたらいいと。
梅田 個人的な思いとしては、その人の行きたい場所で生きることが一番だと思うし、その人の生き方を尊重したい。
その一つの場所として、阿武町が、福賀が選ばれていることは嬉しいことだし。
そういう多拠点型の人がいたって全く問題ないし、むしろ季節ごとにあっちにいたりこっちにいったりする人が増えて、それを寛容に受け入れていける地域が増えると、今まで移住定住の施策で人を取り合いする状態だったのが、人材をシェアし合っていく流れになるのかなって思っている。
ーー なるほど、人材を分け合っていく。
梅田 うんうん。それで夏来る人もいれば、入れ替わりで秋に来る人もいるって状態になれば、疑似的に人口が1人増えたことになる。
そういうのでも全然面白いのになって思うよね。
もちろん、1年間阿武町にいますって人がいるのは大歓迎だけど、そこを直接目指しているわけではないってところ。
まずは、すいかだけとかほうれん草だけとか、小さく目標を決めてやっていかないと始まらないだろうなって気持ちもあるし。
今後の展望や夢や目標
ーー 今後の展望や夢や目標についてお聞かせください。
まずは福賀すいかとしての今後の展望は、先ほどもおっしゃったように「一株ごとの価値をあげていく」ということでした。
梅田 それと、今後は阿武町内で年齢的に自分のハウスを手放す人も出てくるだろうし、そこを取り込んでいくと結果としてすいかの生産数を増やすこともできる。
生産数も大事だけど、やっぱり一番はすいか1玉あたりの価値と認知を上げていくこと!
そして、もちろん、その価値と認知に見合った商品にしていくってことはずっとしていかなければならない。
「生き方に出会いなおせる町」を目指す
ーー 次は、「阿武町」全体で見た梅田さんが考えている展望や夢を教えてください。
梅田 さっきも言ったけど、色んな人が自分の生きたい生き方をできるようになることができることが一番だと思うんよ。
それで、阿武町に来たことで「自分が知らなかった生き方に出会う」「生き方に出会いなおせる」ようなきっかけになる町になっていきたいなと。
特に福賀で出会ったものを見て、これまでの人生で知らなかったものを見て、これからのその人自身の生き方に繋がっていけたら面白いなって思っているかな。
自分自身をコンテンツに
シーズン中にリライトを重ねると思いますが、これを読めば僕が作ってるスイカのことが分かります!
最高にアツい夏を、最高に美味しいスイカで楽しんでみませんか?🍉https://t.co/6UJSyoCSrb
— うめちゃん🍉人生を耕すクレイジー🤪ファーマー (@crfmuc0nd) June 16, 2019
(TwitterやInstagram・ブログ・YouTubeでの発信も欠かせない)
ーー それでは、梅田さん自身の今後についてお願いします!
梅田 誰かの人生を変えてやろうなんておこがましいことは言えないけど、自分の生き方を見つめなおしたい人と地域を繋げられるような人間にはなりたいと思っている。
それは実際、自分が生き方に迷ってそこから行動を起こしたことで人生が変わった経験があるから、自分に似たような挫折や迷っている人にきっかけを作れるような活動をやっていきたいっていうのはあるね。
そのための一つの手段としての、1/4ワークス・援農ってことはあるかなぁ。
ーー 今、やっているブログやYouTubeもそういうことを発信する手段になりますね。
梅田 自分自身の生き方をもっとコンテンツにして、それを認知させる。させなきゃいけないなとは思っていて。
今、阿武町の名前が色々なところに出ている中で、その阿武町の中でなんか頑張っている人がいるらしいっていう感じになっていると思うんよ。
そういうのじゃなくて、梅田将成という存在が先に出ていって、「この人はどこに住んでいてどんなことやっているんだろう?」って疑問に思った人が調べた先に、阿武町や福賀すいかが出てきたら面白いなって。
だから、阿武町と俺の競争みたいなことを勝手にやっているんよ(笑)
ーー ハハハ(笑)!自分の名前で阿武町を知るきっかけになる存在。いいですね!
梅田 というのも、帰ってきて最初のことは「俺は阿武町のために何ができるんだろう?」ってことを考えていたのよね。
地域のことを発信するとか含めて、俺は阿武町のために何ができるんだって考えていたんだけど、現実は俺が阿武町のためにできることってそんなにないって思っていて。
そもそも、阿武町って名前を知らない人が「阿武町」なんてGoogleで調べることってないじゃない。
ーー それはもちろん。読み方すら難しいですもん。
梅田 だから、みんなが見たいことや知りたいことに沿わせて、阿武町を紐づけていけばいい。
先に自分自身をコンテンツとして発信していった方が、入ってくる人がいるんじゃないかなって思っているな。
「田舎暮らしいいですよね!」って扉は入ってくる人はいるんだけど、日本全国どこにでもあるんよ。
阿武町が「田舎暮らし」の扉を開けていても、別にどこにでもあるしってなるし。
ーー 田舎の町はこぞって「田舎暮らし」を発信していますもんね。
梅田 うん。だから、違う扉がないと強みにならないよね。
阿武町もだけど、「福賀」という地区は特に異質
ーー 阿武町に対する思い入れというのは、やっぱり生まれ育った地元だからというのが大きいのでしょうか?
梅田 それが一番だけど、どちらかと言えば阿武町というわけではなくて、「福賀」というもっと地域を絞った方がモチベーションになるというか、腑に落ちるというか。
阿武町の中でも宇田と奈古と福賀では色が違っていて、福賀という地区はとにかく異質。
自分の地域に良くも悪くも執着がある。どうやったらこの地域は面白くなるのかっていうことを考えている人が多い気がするんだよね。
ーー 具体的な例というか、団体のようなものがあるんですか?
梅田 そう。祭りを主催したり、福賀でイベントを開催したりする団体があって、俺らは小さい頃からそのおじさんたちのやっているところを見ているのよ。
それで、本当に一部だけど若い人たちもその後ろ姿を見て、福賀に残っている人もいるんだよね。
その団体は60代の人が多いんだけど、ちょっとずつ世代交代できてきて、俺も今年から役員に入ったから、いい感じに混ざり合っているタイミングが面白いなって思うよね。
補助金やコンサルって燃料にはなるけど、火種にはならないじゃん。地元にどれだけ火種が燻っているかが大切なことであって、「その燃料(補助金)はどこに投下しているんですか?」って思う事業って結構あるじゃない?
ーー 大声では言えませんが(笑)
梅田 この建物はどうなんだろうとか、このお金を他に使えばいいのにとか。
○○君(阿武町の地域おこし協力隊の方)も言っていたんだけど、地域おこし協力隊に関しても、そもそもそこに火種がないと地域おこし協力隊にできることはないんだって。
俺も言われたらその通りだと思っていて、協力隊やコンサルの人たちがやりたことに対し、地元の人たちを突き合わせる形では絶対続かないから。
どれだけ地域に主体性のある人間や団体があるか。そこで初めて手伝いができる。
シビックプライド
梅田 これも○○君(阿武町の地域おこし協力隊の方)が言っていたことなんだけど、「シビックプライド」っていう言葉があって。日本語だと「郷土愛」っていうのかな?
ーー (パソコンで検索)初めて聞きました。「郷土愛」の他に、自分自身が関わって地域を良くしていこうとする意識も入ってる言葉なんですね。
梅田 そのシビックプライドを焚きつけてあげるのが協力隊の仕事であって、火種はちゃんと地元から出てこないと。
協力隊の目線で見ると、福賀にはシビックプライドがあるって聞いて嬉しかった。
ーー それはやはりずっと昔から引き継がれた来たものなんでしょうか?
梅田 その通り、ずっと引き継がれてきたものだよね。
ただ、あまりにも愛着がありすぎて手弁当(※自費で働くこと)でもいいという人が多くて、それじゃこの先の時代は続かないと思っているんよ。
だから、これからはしっかりマネタイズしていく方法も考えていく時期になっているね。
地域ビジネスを作っていくことが、健全だしみんなが幸せになっていく一番の方法だと思うな。
ーー (うなずく)
梅田 ただ、お金を稼ぐことに一生懸命になることをマイナスな目線で見る人もいて、それは福賀にもやっぱりいるんだよね。
俺はこれが一番幸せなことなんだろうと思うんだけど。自分が好きなことをやってお金に変わること以上に幸せなことはないんじゃないかな。
ーー 最後に、もし「福賀すいか」の生産者になりたいという人がいたら何と伝えたいですか?
梅田 指導は厳しいけど、やっていけば絶対に形になる。
というよりも、絶対に俺らがどうにかしてやるから、多少厳しくても我慢しろよみたいな感じで師匠も教えてくれるから、そこは「意欲と努力量」があればなんとかなる!
個人的にも複数拠点をもって生活したいと思っているので、梅田さんの取り組みは今後楽しみだなと思っています!
福賀すいか生産者・梅田将成
梅田将成(うめだまさなり)
1992年12月生まれ。山口県阿武郡阿武町出身。
2016年に大学を中退し、地元である山口県阿武郡阿武町へUターン。
2017年より「福賀すいか」の生産者として新規就農。現在も修行中。
福賀すいかの生産に携わりながら、阿武町の組織「21世紀暮らし方研究所」の研究員として、町おこしにも関わる。
2018年よりSNSやブログでの情報発信にも本腰を入れ、独自の視点から「うめちゃん」の生き方を全国へ発信。インフルエンサーとの交流も積極的に行っている。
今後は、福賀すいかの若き生産者・後継者として伝統を引き継ぎつつ、シーズンワークの受け入れ、シェアハウス運営などを通して、他地域と阿武町を繋いでいく。
他のインタビュー記事は以下より!
≫【佐賀みかん農家・早津昌俊】「早津みかん園」代表に聞くみかん農家のリアル
≫山口萩のお好み焼き屋『萩侍』SAMURAIが作る広島の味